天才シドバレットの生涯をエピソードとアルバムで振り返る

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皆さま御機嫌よう。

今日はお豆のアイドルである天才シドバレットの生涯を

エピソードとアルバムを交えて振り返る記事です。

シドバレットと言えばピンクフロイドの初期メンバーとして

圧倒的なカリスマ性でアングラからメジャーへと一気に押し上げた重要人物です

しかしファーストアルバムの後ピンクフロイドの活動からは離れ、

しまいには音楽活動も引退してしまいます。

活動期間は短いですが未だに数多くのアーティストから

絶大なリスペクトを集める彼の生涯をエピソードや曲を交えて振り返ります。

この記事は、

  • カリスマの一生を知りたい
  • ピンクフロイドを深く知りたい
  • イケメンにうっとりしたい

という方にお勧めの記事になっております。

生誕から実質的な引退までを振り返りました。

▼この記事は下記文献を参考にしています▼

シドバレットの生涯:生誕から音楽との出会い

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まずは生誕から音楽との出会いまでを振り返りたいと思います。

生誕

1946年に医師である父と母の間に生まれます。

幼いころからイケメンでかつ冗談好きだったそうですが

次に何をしでかすかわからない”と言った一面もありかなり個性的であったそうです

また、父はフィルハーモニーに所属しており幼いころから音楽に触れる機会が多くありました。

また音楽だけでなく絵を描く事にも興味を示す芸術志向の高い幼少期を過ごします

学生時代

小学生の時は個性的な性格もあって教師に目をつけられていたそうです。

この時の教師はピンクフロイドのベースであるロジャーウォーターズの母でした。

もうウォーターズと繋がってたんか・・・

学生時代は勉強には興味を一切示しませんでしたが美術の才能だけはピカイチだったそうです。

音楽への関心

芸術以外の授業をないがしろにし授業放棄しては家で絵を描くシドでしたが

14歳で音楽に対しても芸術と同じくらい興味を示しギターを手に入れます

それ以降シドの家はたまり場になります。

そしてそこで現在の主要メンバーであるデヴィッド・ギルモアと出会います

(当時14歳だったそうですが地元ではギターの名手として有名だったそうです。)

個性的で”尖っていた”シドはミュージックシーンにほぼ興味を示さなかったそうです

それよりもジャズやソウル、ボブディランを聴いていたそうです。

当時のシドのお気に入りレコードを聴いてみてください。

音楽活動開始!

16歳のシドは初めてバンドに加入します。

そのバンドのベースがロジャー・ウォーターズです。

先ほど紹介したシドに目をつけていた女教師の息子です!

このバンドはほどなくして解散してしまいますが

この頃からすでに現メンバーともかかわり始めます。

シドバレットのエピソード

当時のエピソードをいくつか紹介したいと思います。

ギターを離さない?

シドは音楽に関心を示して以降ギターを手放せなくなり授業にまで持ち込みました。

そして授業中にばれずにギターを弾きたいと思ったらしく、

椅子の下にギターを置いて足で弾きながら真顔で授業を受けていたそうです。

変な奴!

無名時代のストーンズと・・・

彼女と一緒にストーンズのライブに行った際、

ミックジャガーに熱い視線を送っていたシドが ミックジャガーから自己紹介されたらしいです

シドバレットの生涯:ピンクフロイド結成

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続いてピンクフロイドの結成までと結成について書きます。

ピンクフロイド始動!

シドは18歳で地元のケンブリッジからロンドンに渡ります。

ロンドンではウォーターズとあるアパートでルームシェアし

アパートの元住民である現ドラマーのニック・メイスンともう一人とバンドを結成しました。

下宿仲間の1人が一身上の都合でバンドを脱退し、

キーボードのリック・ライトが加入しピンクフロイドが結成されます。

初ライブでは大音量で反響を聴かせた奇妙な演奏を披露したそう。

そしてこの時期はシドが本格的にLSDをはじめとする薬物に手を染める時期でもあります。

伝説のライブ

イギリスのアングラバンドが一堂に介するライブが行われました。

シド在籍時の一番大きなライブともいわれ、

観客の中にはポールマッカートニーや有名女優の姿もあり

ポールはこのライブにかなり感銘を受けたそうです

このライブを機にピンクフロイド、そしてシドの名が知れ渡ります。

そしてその後はサイケデリッククラブのUFOでも

独特のサイケな曲と奇妙な照明効果で不動の人気を獲得します

デビュー

アンダーグラウンドシーンで人気を獲得した

ピンクフロイドをレコード会社が放っておくわけがありません。

シドが作曲したアーノルドレインと言うシングルで見事デビューを果たします。

内容は女装癖のある下着泥棒の歌で批判もあったそう・・・

良いじゃないですか!

サイケの夜明けという感じですね。

シドバレットのエピソード

それではエピソードを紹介します。

料理の鉄人シドバレット?

当時下宿先の雑用としてシドは料理係だったそうです。

シドは恐ろしく料理が下手で、

傷んだキャベツと芽キャベツを使った料理をずっとメンバーに出していたそうです。

ウォーターズ、キレる

シドはよくスタジオで吸っていたそうです。

そして好きが高じて、

アーノルドレインのB面を”レッツ・ロール・アナザー” (もう一本吸おうぜ)

にしようとしたらしくさすがにウォーターズが切れたそうです

シドバレットの生涯:創作活動の代償とスターの苦悩

a man holds his head while sitting on a sofa

アーノルドレインでプチスターになったシドですが、

彼に困難が待ち受けます。

あまり苦労することなくスターになり周りからの期待なで押しつぶされます・・・

期待をされたエミリー!

アーノルドレインに続くシングルとしてシーエミリープレイが発売されこちらも見事ヒット

しかし薬やスターになった苦悩から徐々にシドの精神は衰弱していきます。

シドの奇行が目立ちメンバー間に溝も出来始めます。

夜明けの口笛吹き

そんな状況の中ついに夜明けの口笛吹が発売されます。

ほぼすべての曲をシドが作詞作曲を担当し、

邦題”サイケデリックの新鋭”らしくかなりサイケでイケてるアルバムです。

このアルバムは各国で大絶賛されピンクフロイドの評価と人気は不動のものとなります

しかしその成功の一方でシドの薬物量は増え精神も衰弱していきます。

アメリカでの失敗・・・

ノリにノッテいた彼らはアメリカでライブをしますが、

機材のレベルや経験不足から客には全く受けませんでした

またアメリカの番組ではシドが全くやる気なくインタビューでも何も喋らなかったり・・・

シドはもうボロボロ

超人気バンドの作曲者としてとてつもないプレッシャーを感じていました

そしてボロボロな状態でイギリスに帰国した直後に作った曲の一つがこれ。

バッドトリップサイケの極みです。

歌詞もなかなかで他メンバーに対する当てつけともとれる内容の歌詞が散見され、

仲が良くなかったのがわかります。

シドバレットのエピソード

それではエピソードを紹介します。

ポールとピンクフロイド

夜明けの口笛吹きのスタジオの隣で

サージェントペッパーがレコーディングされてたのは余りにも有名ですが、

当時のビートルズのレコーディング中の雰囲気は

ピンクフロイドの険悪さどころではなかったようです。

シドバレットの生涯:メンバーとのすれ違い

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バラ色の人生もつかの間、

極度のプレッシャーと薬物でボロボロのシドとメンバーが徐々にすれ違います。

オランダツアー

ボロボロの状態のシドですがそんな状態で行われたツアー。

シドはステージではまともに演奏できず、 ギターの前に腕をだらんと垂らしたり、

ステージで胡坐を組んだりしていたそう・・・

メンバーもシドのフォローにかなり神経を使っていたそうです。

すれ違い

オランダツアーのような状態がかなり続きます。

ウォーターズ曰く

「状況は、シドに対してバンドをやめてくれと僕たちが言わざるを得ない地点にまで来ていた。僕たちはシドを作曲家として尊敬しているが・・・」

クレイジー・ダイヤモンド/シド・バレット 水声社 P.140

と当時を振り返っています。

そして、

とうとうデヴィッド・ギルモアをギターボーカルとして迎え入れる決断をし

シド/ウォーターズ/メイソン/ライト/ギルモアの5人編成で再起を図ります。

当初シドは作詞作曲で参加する予定でしたが後に脱退を余儀なくされます。

シドバレットの生涯:ソロ活動、そして引退

ソロ、リーダー、オールド、パーク、オールドシッティングインザパーク

ピンクフロイドを脱退するしかなかったシド。

しばらく休養しカムバックを図り2枚のアルバムを発表します。

The Madcaps Laughs

シドの復帰1作目です。

ある程度症状は落ち着いていたものの

相変わらずの気分屋でスタッフやバックバンドに指示も何もせず・・・

バックバンドは探り探りでシドの後を追うように演奏しているので

ワンテンポ遅れていますがこの風変わりさが魅力的です。

悲痛に歌うシド、テンポが遅れる演奏、 歌詞のページがめくれる音、途中で演奏をやめるシド

当時のシドをありのままに表したアルバムです。

特に最後の3曲はシドを知りたい方は必聴です。

プロデュースしたギルモアとウォーターズはこの構成にしたことを後悔しているそうです。

確かにシドを晒上げているように聴こえる可能性もあります。

Barrett

続いて発売されたセカンドアルバムはシド作の蜂の絵があしらわれています。

2作目を何とか仕上げるもシドの精神状態は悪化

脱退後にこのアルバムの曲を引っさげてライブを行うも4曲を演奏したところで終了。

神経衰弱の中仲間は離れていきますが金目当ての取り巻きは増え続けます。

限界のシドはとうとう誰ともかかわらないようになります。

シドバレット、引退

シドは当時の彼女と共に地元のケンブリッジに帰ります。

母はシドがロンドンに発っても当時のまま部屋を残しておりしばしば安息を得ます。

しかし婚約の席でいきなりバリカンで毛を刈ったり恋人に暴力をふるったり

そうした中でもプレッシャーから解放されレコードを聴き絵を楽しむ隠遁生活に入りました。

その後は執拗な取材に会いはするも基本的には穏やかに生活していたそうです。

そして2006年息を引き取ります。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

悲劇的ですよね。

過度な期待と商業的な社会の雰囲気がシドには合わなかったんでしょう。

そしてメンバーとのすれ違い・・・

後のピンクフロイドの歌詞の深みはシドの存在が確実にあったと

お豆はそう思まいます。

以上です。

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