【アール・ブリュット】美術史に名を残すアウトサイダー

本・映画etc

御機嫌よう。

今日は芸術の話です。

いきなりですがアール・ブリュットはご存じですか?

美術や芸術の知識や経験がない方々の集団です。

(フランス語で意味は”加工されていない・生の”という意味です)

特に今日紹介するのはそのような方々が描いた絵です。

どうせ素人でしょ?

その気持ちわかりますが、

果たして我々がありがたがって見ている絵と素人の絵は何が違うのでしょうか。

知識?教養?技術?バックグラウンド?絵のうまさ?

良いとあなたが思ったものは全て良い。

教養も知識も技術も関係なくね?

ただただ純粋な強烈な個性の発散をご覧あれ~

という事で今日は普段見慣れていない素敵な絵を描く方を紹介するので

是非見ていって下さいね☆

この記事は

  • 普通の絵を見飽きた
  • 芸術とは何か?について考えたい
  • 発情期の猫がうるさくて眠れない

いった方にお勧めの記事になっております。

おすすめのアウトサイダー5人

早速紹介します。

これ界隈の方は何かしら虐げられる立場であったり

精神疾患があったりします。

そういった経歴等も併せて紹介しますのでお楽しみください。

Henry Darger(ヘンリー・ダーガー)

まずは恐らくこの界隈で一番有名な人です。

1892年にアメリカで生まれ4歳で母が死に 8歳で施設に預けられ、

後に知的障害である事が発覚。

その後は父の死がきっかけで施設を抜け出し、

シカゴで40年間バイトで生計を立てます。

天涯孤独で生き続け死後大量の原稿と挿絵が家から見つかります

世にある不条理や悪に対して神が何もしないことから

神を見限り自らの妄想世界で解決を試みました

新聞や本から拝借しコラージュされた幼女が

大人たちに残虐行為をしたりされたり・・・

たまに宗教的であったり! とにかくかっこいい。

アングラサブカル界隈が好きな方は絶対ツボると思います

Bill Traylor(ビル・トレイラー)

1854年にアメリカにある農園の黒人奴隷の息子として生まれます。

奴隷解放宣言後も農園にとどまり妻がなくなった後ようやく農園を出ます。

しかし職を失いホームレス生活を送る中で絵を描き続けます。

当時芸術文化と無縁とみなされていた黒人地区で

ひたすら絵を描く姿に興味を持った白人が彼の絵を文具と交換し収集し世に出ます。

めちゃくちゃ可愛い絵です。

被差別の立場でありながら決して暗くなく

動物がたくさん出てきたり素敵な作品が多いです

部屋に飾りたくなります。

Carlo Zinelli(カルロ・ツィネリ)

1916年イタリアの田園地帯に生まれます。

のどかに暮らしていましたが1936年に兵役につき、

その厳しさから精神分裂症で監禁生活に入ります。

その監禁生活の中で煉瓦で壁に絵を描いたりアトリエに通ったりで才能を開花させます。

彼の特徴は文字の使用と4人一組の人です。

芸術を学問として学んだ人には書けないタッチ (のような気がします。)

アールブリュットのアールブリュットたるゆえんです。

Josef Wittlich(ジョセフ・ヴィトリッヒ)

1903年にドイツに生まれ4歳で母を亡くし狂暴な父との二人暮らしが始まります

”戦争で死ぬのも父に殺されるのも一緒や!”

と思い外人部隊に志願するも不合格。

ドイツに戻って仕事をしながら絵を描きます。

彼の絵の特徴は既存絵画の複製や 写真や広告をモチーフにし

表情をいじったり光彩をきつくしたりすることです

かなりアーティスティックで素敵です。

彼の悲惨な過去を感じさせない明るさが何だか不気味です・・・

Oswald Tschirtner(オズワルド・チルトナー)

1920年にオーストリアに生まれます。

勉強熱心で信仰心もあったのですが戦争で病んでしまいます。

その後医師の勧めで絵を描き始めますが、

”決して自分の意見を持たない” という姿勢があったらしく

決して自分の意志で絵を描くことはなかったそうです。

めんどくさそう。

偏屈で病的な絵を描くと思いきや何これめっちゃ可愛いやんという絵。

書かされてめんどいからテキトーに書いといたろ!

という気持ちが透けて見えるミニマルな絵がまた良い。

Tシャツにしたい~

まとめ

いかがでしたか?

知識がないという事が強みになる事もあるんですね。

がちがちに知識と技術を固めたらどうしても

退屈になりがちです。

こういうアートはやはり面白い。

皆さまがお気に入りを見つけてくだされば幸いです。

以上!

▼参考文献▼
アウトサイダー・アート 求龍堂

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